はじめに
猫を飼われている飼い主さんの中でもあまり知られていない病気があります。
それは猫伝染性腹膜炎(FIP)と呼ばれる感染症で、ペットショップからお家へやってきた頃の可愛い子猫に発症することが多い、猫コロナウイルスを原因とする全身的なウイルス感染症です。そして、FIPは一旦発症してしまうと、従来から行われている標準的な治療法をおこなってもほぼ助けることが出来ない不治の病とされていました。(致死率ほぼ100%)
私も獣医師になってから何度もFIPに罹患した猫ちゃんを診察・治療した経験がありますが、何とかして助けてあげたい!と、インターフェロンを投与したり、ステロイドを投与したりして治療を行ってきましたが、やはり致死率は依然として100%であり、標準的な治療法でFIPから治った猫ちゃんは1頭も診たことがありませんでした。
手持ちの古めの獣医学書(猫の疾病 メディカルサイエンス社より)を見てみると、
FIPのページには、
一次治療のところに、「FIPには成功が保証されている治療法はない、FIPが確認されたときあるいは証拠がかなりあるときには、安楽死が当然の方針である」と記載があります。
このように、昔から獣医師の中では、「FIPは致死率100%」というのが今までの獣医学の常識だったのではないでしょうか。
猫伝染性腹膜炎(FIP)とは?
猫の伝染性腹膜炎(FIP)はペットの猫では珍しくはないもののそれほど多くはない病気です。一般的な動物病院では年間1~2例くらい来院があるかないか程度のどちらかというと珍しい病気で、典型的な症状が出ていない場合はなかなか診断にたどり着かないこともあるかも知れません。
この病気は通常、3か月齢~3歳の猫に発症することが多く、病気の猫の50%は1歳未満だと言われています。ただし、高齢猫であれば安心という訳ではなく、FIPはどんな年齢の猫でも発症する可能性があり、免疫力が弱まっている高齢猫でもリスクが高くなります。当院においても10歳以上の高齢猫をFIPと診断し治療しているケースが何例かあります。
- ウェットタイプのFIP
FIPは症状によって大きく2つのタイプに分類されており、腹水や胸水が貯まる「ウエットタイプ」のFIPと、腹水や胸水がみられない「ドライタイプ」のFIPがあります。
あまり一般的にはなっていませんが、その他にも、両者の特徴を併せ持っているタイプのFIP(混合タイプ)も意外と多くあります。
ウェットFIPは、細胞性免疫が働かない猫で発症しFIPウイルスが激しい抗体の形成を引き起こすことで、食欲不振、活動性の低下、抗生物質治療に反応しない高熱が見られるようになり、しばらくすると、腹水(滲出液)が貯まってきて腹部が膨満し、または胸腔内に胸水(滲出液)が貯留することで呼吸困難が引き起こされます。その他の症状として、嘔吐や下痢または黄疸が見られることがあります。
- ドライタイプのFIP
ドライタイプFIPでは、症状が全く無いことや、元気や食欲が若干無くなり徐々に体重が減少していくこともあり、見過ごされがちなケースも結構あると思われます。
何となく元気や食欲が無くて痩せてきている猫ちゃんは実はドライタイプのFIPかもしれません。
ドライタイプFIPでもウエットタイプFIPと同様に、元気・食欲の低下、抗生物質治療に反応しない発熱などがよく見られる症状です。ただ、これはFIPに特徴的な症状では無く、その他の病気でも似たような症状が見られるため、ウエットタイプFIPに比べて診断が難しいです。ドライタイプFIPの猫の10%では、時間の経過とともに脳にダメージが生じてしまい、神経症状(協調運動の欠如、けいれん、性格の変化など)が発生することがあります。眼の症状としては、ぶどう膜炎がみられることがあります。
FIPの診断方法
腹部や胸部に滲出液を伴うウエットタイプでは、心臓病や、肝臓病、腎臓病などの症状に似ていますし、腫瘍や、細菌感染症などの症状ともよく似ているため、各種検査を行って鑑別や見極めが必要になります。
FIPの症例では、発熱(40℃以上とか)が認められ、一般的な血液検査において、貧血が見られることが多く、白血球数の増加、好中球数の増加、リンパ球数が減少することが多いです。エコー検査で診て腹水や胸水がある場合、針で刺すとFIPだと黄色の透明で粘稠性のある液体が採取されますので、見た目で大まかに仮診断ができます。
ウエットタイプで腹水や胸水が採取できた場合は、PCR検査を使ってウイルスを検出することができます。この方法は非常に正確であり、PCR検査が陽性と出ればFIPとほぼ確定診断することができます。ドライタイプでは腹水や胸水が貯まっておらず採取出来ないため、血液を採取してPCR検査に提出します。FCoVの遺伝子検査は検査センターに提出する検体により検出感度が異なるため、なるべく感度が高いと思われる検体を採取して検査センターへ提出します。
- ウェットタイプ
1.胸水・腹水(感度:80~90%)
2.血液(感度:~70%)
- ドライタイプ
1.肉芽腫の針生検(感度:80~90%)
2.脳脊髄液(神経症状ありの感度:~80%)
3.血液(感度:~70%)
腹水や胸水が採取できた場合はその液体を検査センターに提出するのが良く、腹水や胸水が採取できないケースや、ドライタイプで肉芽腫性病変があった場合には、エコーガイド下で針生検を実施したり、血液を採取して検査センターへ提出します。
その他、高ガンマグロブリン血症(蛋白分画検査)の有無、抗体価の測定、炎症反応(α1AG、SAA等)の高値、眼症状、神経症状などの所見を総合して診断します。
ただ、ドライタイプのFIPは診断が非常に難しいケースがあり、MUTIANを試験的に投薬し、その反応により診断する場合もあります。
FIPの治療
最近まで、猫のFIPは完治できる病気ではありませんでした。
無治療で経過観察するとウエットタイプで約2〜4週間程度の余命であり、ドライタイプでは2〜6か月程度だとされています。
一般的に市販されている薬剤を用いた有効な治療法はなく、全身性あるいは典型的な症状を示す症例はほとんど例外無く数日~数ヶ月の経過をたどり亡くなってしまうことが多いです。プレドニゾロンやインターフェロン、イトラコナゾールなどで治療することで延命効果があったという報告もありますが、残念ながらあまり良好な効果は期待できないのが現状です。
現時点で考えられるFIPの治療薬の候補は下記のようにいくつかあります。ただ、国内では動物薬の認可を受けたものは存在しておらず入手も困難なため、一般的にはFIPに対する治療は支持療法が中心になっています。
薬剤名 | 作用点 |
ヘキサメチレンアミロライド | FIPVE蛋白 |
GC376 | FIPV3CLikeプロテアーゼ |
GS-441524 | RNA依存性RNAポリメラーゼ |
シクロスポリン | Cyclophilin PPlase |
クロロキン | ウイルス侵入(エンドソーム酸性化阻害) |
ジフィリン | ウイルス侵入(エンドソーム酸性化阻害) |
U18666A | ウイルス侵入(細胞内コレステロール輸送阻害) |
モルヌピラビル | ウイルスのRNA複製時に複製エラーを生じさせる |
これらの薬剤の中で、
「GS-441524」はアメリカ合衆国カリフォルニア州に本社を置く、世界第2位の大手バイオ製薬会社であるギリアドサイエンシズ社によって開発された薬剤です。
2019年に発表された論文「Efficacy and safety of the nucleoside analog GS-441524 for treatment of cats with naturally occurring feline infectious peritonitis」では「GS-441524」を投与すると、なんとFIPの猫が治ったという報告がなされています。
ただし、こちらの「GS-441524」は製剤化されておらず、正規の薬剤は入手することが出来ません。
その他、人間の新型コロナウイルスの経口治療薬として国内でも使われ始めている「モルヌピラビル」を猫のFIP治療に用いる試みも行われてきていますが、薬用量の設定が確立されておらず、長期的な副作用の発生も懸念されることから、今のところは一般的な治療薬にはなっていません。当院ではその他の抗ウイルス薬に薬剤耐性が認められる場合などに使用しています。
↑FIPに特徴的な黄金色の腹水・胸水
MUTIAN(ムティアン)について
MUTIANってなに?
現在、中国の会社が未承認ではありますがMUTIANという製品(成分は非公開)を販売しており、最近その製品がFacebookなどのSNS上で猫ちゃんの飼い主さんなど一部の方々に話題になっています。効果があるのか、実際どうなのか、どんな感じで話題なのかはインターネットやSNSなどを検索してみて下さい。
また、最近では神奈川県にあるブルーム動物病院の片山先生がFIPの症例にMUTIANを使った治療成績を報告されています。
論文中の数値をみると…(英語の論文です。英文を読むのが大変な場合は翻訳ソフトを使って翻訳してみて下さい。)
・生存率 82.2%(116/141頭)
・84日投薬終了後の再発率 2.5%(3/116頭)
と良好な治療成績が報告されています。
ただ、こちらの製品は海外製品で未承認薬のため、使用を希望する場合は、動物病院の獣医師が診療のために獣医師自身が個人輸入を行い処方してもらうか、飼い主さん自身で個人輸入をしなければなりません。
使用を希望される場合は具体的には、
- 掛かりつけの動物病院にお願いして薬を輸入して貰う
メリット:掛かりつけの動物病院で診察・治療して貰える
デメリット:延長投与時、再発時の無料保証がない
そもそも扱いが無いことがある(未承認薬を用いた治療を行う動物病院は少ない)
税関で止められると煩雑な手続きが必要になる
※もし、税関で止められた場合でも、農林水産省に「動物用医薬品輸入確認申請書」を提出することで動物用医薬品として輸入することは出来ます
お薬の入手方法や、正しいお薬の使い方がわからないことがある
お薬の到着に日数が掛かるケースがある(税関手続きに1か月以上掛かることも)
- MUTIANを用いた治療を行っている動物病院(協力病院)にて処方して貰う
メリット:延長投与時や再発時にお薬が無料で補填される(※無料保証:例外もあり)
FIPの診断やMUTIANを使った治療経験が豊富
在庫があるため直ぐに治療を開始できる
デメリット:遠方であったとしても一度は診察を受けに協力病院へ行かないといけない
- お薬を個人輸入で入手する
メリット:離島など近くに動物病院が無い場合にもお薬が入手できる
デメリット:税関で止められると煩雑な手続きが必要になる
正しいお薬の投薬方法が分からないことがある
お薬の到着に日数が掛かるケースがある(税関手続きに1か月以上掛かることも)
という3つの方法があります。
また、日本の薬機法では、未承認製品の効能効果を表示・広告することが禁じられていることもあり、インターネット上にもこちらの製品についての情報は少なくなっています。
医薬品やサプリメントを個人輸入した場合は、その購入・使用により何らかの問題が発生したとしてもあくまで各個人の自己責任のもとに対処する必要があります。
現在のところ、GS-441524として販売されている製剤は、中国、イギリス、オーストラリア、マレーシアなどの国々で製造されているようですが、全て未承認薬と呼ばれるものになっています。
将来的には、新型コロナウイルス用に新しく開発されたヒトの治療薬等を用いて、猫のFIP(猫のコロナウイルス)の治療がどこの動物病院でもできるようになる日が来ることが期待されています。
さいごに
FIPは進行が速い場合、発症してから数日~1週間以内(発症すると平均生存期間は9日間)に亡くなってしまうケースもあります。
FIPを発症した猫ちゃんの飼い主さんが情報を入手し、この製品を試しに使ってみたい!と思って海外から個人輸入で入手しようとしても、注文方法が分からなかったり、取り扱い説明書も無いため用量や使い方が分からなったり、また、税関手続きや海外からの輸送にも時間(1か月以上掛かるケースもあり)が掛かります。
最悪のケースではFIPの進行が速いと間に合わない可能性も考えられるため、色々とタイムリミットもありハードルが高いのが現状になっています。
当院では緊急を要するFIPの猫ちゃんの治療をすぐに開始できるようにするため、標準的な治療薬に加えて、未承認薬の取り扱いをしており在庫も確保しています。
当院では今まで過去に100例以上のFIPの猫ちゃんの診断・治療を行ってきました。
FIPの治療を希望される方や、MUTIANについてお聞きになりたい方、すぐに治療を開始したい方、FIPの診断・治療について質問等がございましたら診察時間内に下記までお問い合わせのうえFIP診療外来を受診してください。
TEL: 078-707-2525
9:00~12:00 17:00~20:00
水曜日休診
垂水オアシス動物病院
獣医師 井尻
(神戸市垂水区霞ヶ丘にある動物病院です)